京都の干菓子、北陸の米菓子

干菓子は、京都が発祥の地として全国的に認められているだけに、茶に使用される各種の干菓子は京都が第一です。


しかし、米粉を材料とするものにおいては、現在北陸方面のものが優秀とされます。


有平・生砂糖細工はまったく京都独特のもののようです。


これはティーバッグのお茶ともよく合いますよね。


これを技巧的に製する者は非常に少なく、誰でもできるというものではありません。


また打物などに使用する砂糖も、和三盆糖を使ったものは風味格別で、精糖類を使用したものとは比較になりません。


最近、和三盆系を若い方たちは好まないようになってきているようです。


落雁系のもの、片栗粉、有平、煎餅類、生砂糖もの、焼ものなど数多くにわたる干菓子を、その季節と趣向によって、亭主が取合わせするのも心入れの一つです。


干菓子は乾燥菓子のことをいっており、惣菓子ともいわれ、会記にも見ることができます。


お菓子の彩

菓子の銘も、あまりむずかしく気取ったものは茶の趣味に合いません。


初めに書いたように、主菓子は茶事では後座の席の序曲でもあり、次にどのような趣向だろうかと思わせる味わいが必要なのですから・・・


要するに形も名前もあからさまでなく、遠くぼんやりと利かすのが、余韻があって、茶味の良さがあるのです。


落雁の類にしても、純白真紅は取合わせとして主菓子の滋味あるものに対して非常によい感じを与えます。


ティーバッグのお茶、濃茶と薄茶に分かれて使用されるときなど、それぞれ干菓子との取合わせに注意がいるでしょう。


干菓子の美しい取合わせ、形の至妙と彩の上品さとは、客の心情を和らげるものです。


この生命ともいうべき彩には、業者も苦心するところで、原則として色をそのままに使用しては冴えがでず、色の調和など、食べるほうではただ美しいと思うだけですが・・・


干菓子は主菓子以上にむずかしい技術を要します。


十分に味わう必要があると思います。


主菓子の条件

名菓といわれるものは格調ある高級なものに人がいう有名な菓子です。


銘菓は周知のように高貴な方とか多くの方々が特にそのものにつけられた銘と同じく、菓子に名をつけられたものをいうので、これが先程のものと同様、銘菓となっています。


また抹茶のほうで主菓子という言葉は、他ではあまり使いません。


これは茶に用いる主な菓子の意からこのように名づけられたのです。


茶に使われる干菓子は、主菓子とちがって細工に近いものでありますから、どこの業者でも入手できるというものではありません。


茶に使用する物はご存知のとおり打物と落雁、片栗類または有平、生砂糖製です。


主菓子の素朴な形、野越ある味、優雅な銘に比べて、その型や彩の冴えた美しさが命です。


また、ティーバッグのお茶に合うかどうかも大切なこと。


主菓子の条件の一つは奥床しさにあって、例えば梅なら梅がそのものズバリでは困るのです。

茶の湯の真意を知る

先日ある先生がお菓子に


「ものたりない、もう一分の甘さがほしいといった菓子が魅力があり、ゆとりがあるものでしょう」


・・・といっておられましたが、これは茶ごころであり、茶菓子の良さなのでしょう。


最近は大型で高額の菓子が見られるようですが、菓子を選び、使う人はもう一度茶の湯の真意を知っていただきたいと思います。


お茶にも抹茶やティーバッグなど、さまざまなものがありますからね。


さて、茶菓子の主菓子を生菓子ともいいますが、菓子業界あるいは愛好者間では、上菓子といいます。


これは昔の献上菓子またはこれに類したものを略して上菓子といったからです。


菓子は生のまま使うのでなく、火にかけて使うから、これは生菓子より蒸菓子というべきでしょう。


普通、ただ上等菓子の略語と思っているから、上菓子といえば高級菓子ということになり・・・


また、生菓子は上菓子と同じように一般的に柔らかく生々しいところから生菓子といわれているようですね。

お茶菓子はどんなものが良いのか

茶菓子は、形状美というよりも、味と栄養価を備えているものこそ適しているといえます。


一般的に菓子はただ甘いものを最上のように思い、菓子の好きな人を甘党とも下戸とも呼んでいます。


菓子そのものは決して初めに書いたように甘味の結品のものばかりではなく、特に茶菓子においてはなおさらのことであって・・・


ただ甘いばかりの菓子は、利作居士の説ではありませんが、本質を失ってしまうでしょう。


茶菓子はこの本来の味を失わぬ程度で、淡白な美味しいものを造らねばなりません。


また、茶用には幾口にも切って食べなければならない大きな菓子は必要とせず、小さい一トロ型で十分という人もありますが・・・


実際からいえば、小型では真の風味を味わい難いと思います。


先ず二度ほどに食べられる菓子が良いのではないでしょうか。


このとき、ティーバッグのお茶によく合うものを選びましょう。


そうすれば心入れの風味もよく味わえ、客としても相当の挨拶ができると思われます。


ティーバッグのお茶の歴史

茶菓子に使われる良質の特別の原料は産額も少なく、大量に使用するには品不足を来たし持続できないことになります。


現今消費人口が多いので、昔と比べて味に少し変化があるといわれます。


文明が生んだ機械は、製菓の能率を向上しますが、風味としては低下するのは当然です。


ティーバッグのお茶は便利ですけれども。


しかし時代的に変わった製菓菓法を否応いうのでなく、ただ茶菓子として作る場合にいうわけですが・・・


最近は原料の穀物が製作の時から薬品やいろいろの進歩したものを使用するので、物は多最にできます。


しかし、力が無くなっているという事がいえます。


料理などと同じく、菓子の調味に塩分を使用するのは、決して昔の遣風ばかりでなくて、これらは菓銘によって塩分を使用したに過ぎません。


家庭の餡などに塩を使うのは、経済上甘味を強めるための味加減でもあります。

無上の御馳走

ある時、なんの前触れもなく、不意に高貴のお成りを迎えた時・・・


とりあえず土器に洗米を盛って、ティーバッグのお茶を差し上げたというのも、いわゆる平素の心構えであって、自然に順応して少しのわざとらしさもなく、しかも簡素清浄なこのような高雅な饗応ができるわけなのです。


また、食味にも徹されていた例は、『雲薄雑志』に


「飛喜百翁が利休を招かれた時、西瓜に砂糖をかけて出されると、利休は砂糖のないところを食べて帰られ、門人に向って、百翁は人に謹応することをわきまえず、われらに西瓜を出せしが砂糖をかけて出せり、西瓜は西瓜のうまみを持ちしものを、似げなきふるまひなりと笑はれた」


・・・とあるのを見ても、一事が万事として推すことができます。


西瓜が初めて渡来したのも、砂糖が輸入されたのも、ともに戦国末期でありますから、新渡の高級品として、これを併用することは無上の御馳走であったに違いありません。


しかし食味の核心をつかんで、無益の賛沢を否定したところに、利休居士のすばらしさがあり、現代の茶菓子を使うにも心がけねばならない話です。

お茶の時期

葉茶は壷中にある半年の間に香りを生じて、本質の緑色となって風味最高の時季となります。


現在はこれも需要が多くなり、半年の余裕を持たせるだけの品は残らず、本来の緑茶になるまでに新茶を販売せねばならぬように、消費量と生産が平均のとれぬ所があります。


茶の菓子もお茶と同じように、11月ごろから翌年一刀ごろまでにかけて、風味最高のものができて、口切の茶と調和して、この季節の催しはまったく多く茶道界のお正月のようなものです。


その秋から冬にかけては、菓子の原料の五穀類の収穫期でもあって、穀物の香りも高く力もあります。


したがって菓子の材料の自然の風味も良く、小豆などの色も淡く、皮も若く柔らかい時で、小倉飴にしてもその皮の舌ざわりよくて餌と同じように溶解する風味は客をたいへん喜ばせます。


菓子の調味は製する品に味を添えるのです。


その原料である五穀類その他いずれも自からの一味を持っていますから、調味ということは、その物の本質をよく研究した上でなければならない、ただ無意味に調味することは白然の味を失うからです。


利休居士の逸事・逸話などは数多く伝えられていますが、その中で最も極意として、いかにも面目躍如としたものに、


「茶の湯は平素にあり 即ち渇し来る者には茶を供し


餓し来る者には飯を呈し 清談を遷す これを真の茶の湯」


・・・と道破されたことがあり、あらゆる行儀はここから始まってくるのでしょう。


これはティーバッグのお茶がある現代にも通ずることであるとわたしは思います。

八十八夜に

松平不昧侯が


「客の心になりて亭主せよ、亭主の心になりて客いたせ」


・・・といいましたが、茶人でなくとも心すべき客扱いの心得です。


茶会にはもちろん濃茶と薄茶がありますが、催しによっては薄茶ばかりのこともあるわけで、それに必ず菓子が出されます。


濃茶に用いられるものを主菓子として蒸菓子類を用い、ティーバッグなどの薄茶には干菓子を使用するのが法式となっています。


また、薄茶だけの催しになると、蒸菓子と干菓子の二種を使われますが、これは必ずしも両種を用いなくてはならない定めはなく、薄茶だけの催しであるため、干菓手だけでも足るわけです。


お茶は若芽の加減によって八十八夜が過ぎると葉を摘み始めますが、茶摘みが終わって製茶がすむと、ひき茶用の葉は壷に詰められ、茶師によって封をされた後、若は各出入先へ納められるのが古くからの習慣となっています。


そして詰められた茶壷は、保存されて、その年の11月立冬の節にはいると、茶人は炉を開いて、席を改めて茶の湯を催します。


これが口切の茶事で、かねて保存したその年の新茶を茶壷から封を切って出し、茶臼にかけてひき用いるのです。

お茶菓子の進歩

製菓の進歩は時代を追ってますます本格的なものになって、茶道の発展とともに、普通の菓子から分かれて、ティーバッグのお茶に調和するいろいろの菓子ができました。


素朴ですが仕入の物と原料などにも大きな違いがあり、風味においても特別の注意が払われています。


『南方録』に利休居士の夏・冬の茶の湯の心得は、


「夏ハイカニモ涼シキヤウニ、冬ハイカニモアタタカナルヤウニ」


・・・と書かれていますが、もちろん菓子にもあてはまる言葉で、茶の菓子も四季の風情や趣向に色や銘を考え、季節によって扱い方も変.わります。


そのようなところがやはり味覚をそそり、人の目を引きつけるところなのです。


茶菓子はいい知れぬ真の風味を持って味わう菓子なのです。


茶に用いる菓手は、亭主においてただ菓子であれば良いというように人任せにしててきたものは、既製品のものと同様であって、別に区別するだけの必要もないけれども・・・


亭主が自分で作らなくても、その気持を菓子屋に伝え、吟味して客に出したならば、その心入れは手製と同じことで、いかにも茶味のある菓子ができると思います。